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日本詞彙:“とても"的程度副詞用法在過去是錯誤的!?

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「とても大きい」のような「とても」の使い方は,昔は間違いとみなされていた。本當でしょうか。

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像「とても大きい|非常大」中「とても|非常」的用法在過去是錯誤的。這是真的嗎?

「とても」の歴史

「とても」的歷史

「とても」という言葉は,古代から現代に至るまでに意味や用法の大きく変わった語として,しばしば研究で取り挙げられてきました。國立國語研究所コーパス開発センター編の『日本語歴史コーパス』を使って,「とても」の流れを確認してみます。

「とても」一詞從古至今,含義及用法都發生了巨大變化,一直以來常有學者對它進行研究。(如涌井澄子《程度副詞「とても」的研究——主要探討從陳述副詞轉變爲程度副詞這一過程中其用法的變化》,吉井健《「とても」的詞源》等)。在此,藉助國立國語研究所語料庫開發中心編撰的《日與歷史語料庫》,嘗試梳理一下「とても」的演化過程。

まず「とても」の語源ですが,「とてもかくても」を略したものと見られています。中世ごろには,現代の「大変」「非常に」のような程度副詞的な意味ではなく,「どうせ」「いずれにしても」「どうあろうと」のような意味を表す陳述副詞として用いられていました。次の例は,室町時代の話し言葉を反映する資料とされる『虎明本狂言集』のものです。

首先是「とても」的詞源,它是「とてもかくても」的縮寫。在中世紀時期,它並沒有被用作爲諸如現代社會中的“很”“非常”等程度副詞,而是被用作爲陳述副詞,具有“反正”“總歸”“不論如何”等含義。下面例句出自於《虎明本狂言集》,這本狂言集反映了室町時代人們的口語。

“譯:反正都是要買的,我買下了。回家出現在丈夫眼前時的(說明萬寶槌的)證據。”(《虎明本狂言集》脇狂言「萬寶槌」1642年寫)

これが明治頃になると,不可能を表す語句を伴う用法に限定されたとみられています。この用法は現代でも続いています。

資料顯示,進入明治時代後,「とても」就只用於表示否定意義的語句之中。並且這一用法一直持續至今。

その後,新村出『日本の言葉』によると,「大正十年ごろ」,「大変」「非常に」のような意味で,肯定的文脈で用いられる程度副詞の用法の「とても」が聞かれるようになったとのことです。新村出が編者である『広辭苑』の初版では,「とても」の項で「明治末期より否定をともなわずに用いる」(p.1557)としています。

之後,新村出在《日本的語言》中指出,“大正十年時”,「とても」開始出現了程度副詞的用法,被用在肯定句中表示“很”“非常”等含義。在新村出編纂的《廣辭苑》初版裏,「とても」的詞彙介紹中寫着“明治末期開始不用於否定句中”。

「とても大きい」のような,いわゆる程度副詞としての「とても」は,「とても」という言葉の歴史全體から見れば,新しい用法なのです。

因此,縱觀「とても」一詞的歷史,它在「とても大きい|非常大」這類句子中的用法,即作爲程度副詞,是一種新的用法。

程度副詞用法発生期の「とても」に関する規範意識

程度副詞用法發生期時,「とても」的規範意識

次に,前項で確認した新しい程度副詞用法について,どのような使用意識があったのかを確認します。文學者として有名な坪內逍遙の文章に,程度副詞用法に対する意識をうかがわせる記述があります。

接下來,確認一下前文已確定的新用法——程度副詞的「とても」是如何被使用的。在知名文學家坪內逍遙的文章中有探討關於程度副詞用法的意識的記述。

最近「とても」這一方言被廣泛使用了。衆所周知,「とても」是「とても」,「かくても」的縮略詞,是方言俗語,所以無論何時都不可能成爲標準語(東京話)。儘管如此,最近人們常把它與其他詞連用,例如「とても面白い|非常有趣」,「とても有力だ|強有力「とてもよく行はれる|經常去」等。其中也有人連假名都寫上了。

(坪內逍遙(1923)「所謂漢字刪減案例的分析性批判」:《逍遙選集》春陽堂・1927・p.627)

坪內は程度副詞用法の「とても」を「訛語」「俗語」とし,「標準語(東京語)」の用法とは異なるという判斷を示しています。少なくとも大正12(1923)年當時すでに流佈していたこと,そして逍遙の言語規範からは外れていたことがうかがえます。芥川龍之介も『澄江堂雑記』(大正7~13年)で,この用法を「新流行」と位置付けて「東京の言葉ではない」と述べています。また,新野直哉「昭和10年代の國語學・國語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」には,昭和10年代の國語學に関する専門誌にみられる,この用法を「誤用」視する記述が挙げられています。

坪內把被用作程度副詞的「とても」定義爲“方言”“俗語”,與標準語(東京話)的用法有差異。從中可以瞭解到至少大正12年(1923)時已經流傳甚廣,並且超出了逍遙選集的語言規範範圍。芥川龍之介也在《澄江堂雜記》(大正7~13年)中這樣描述,這個用法是“新的流行語”,“並非東京話”。另外,在新野直哉的《關於昭和10年代的國語學・國語教育・日語教育專業雜誌中常見的語言規範意識-副詞”とても”・‘去ら的詞語’等》一文中提到,在昭和10年代的國語學相關專業雜誌中出現的這一用法屬於“誤用”。

このように,大正期から昭和初期にかけて,「とても」の程度副詞用法を「きちんとした(東京の)言葉遣いではない」とみなす記述が複數見られることから,當時の中央語の規範意識に照らして程度副詞用法を「間違い」とみなす人は少なくなかったと推測されます。

綜上所述,從大正時代到昭和時代初期,認爲「とても」的程度副詞用法“不是標準的東京話用法”的記載不在少數,由此可推測出按照當時的中央語的規範意識,應該有不少人認爲它的程度副詞用法是“錯誤的”。

さらに,辭書を確認してみると,例えば,明治44年の『辭林』(金澤莊三郎編,三省堂)の語釈には「いかようになすとても。いかにしても。どうしても。」(p.1136),大正6年の『大日本國語辭典』第3巻には「どうしてもこうしても。いかにしても。何としても。とてもかくても。」(p.1048),昭和9年の『大言海』第3巻には「イカニシテモ。如何ニストモ。何トシテモ。所詮。到底。」とあるばかりで,「非常に広く使用され」つつあったはずの程度副詞用法への言及はありません。『辭林』の後継,大正14年刊の『広辭林』に「非常に。はなはだしく。すこぶる。」(p.1322)とあり,記載のなかった『辭林』の頃に比べ程度副詞用法の広まりに対する認識のあったことが伺えますが,ここでは「俚語・方言」用法としての扱いでした。

並且,查閱字典後,例如,明治44年版的《辭林》的詞語釋義是:“いかようになすとても,不論如何,不管怎樣“(p.1136),大正6年的《日本國語辭典》第三卷中是這樣解釋的:“不管怎樣,不論如何,不管發生是什麼,總之”(p1048),昭和9年的《大言海》第三卷中的詞語釋義是:“總之,如何ニストモ,不管發生是什麼,終歸,到底”,完全沒有提到逐漸“被廣泛使用”的程度副詞用法。在繼《辭林》之後,大正14年出版的《廣辭林》的詞語釋義中出現了“非常,甚,十分”(p.1322),可以瞭解到,比起沒有相關記載的《辭林》時期,編者意識到了其程度副詞用法的廣泛使用,不過在此時還是被認爲是“俚語・方言”用法。

また,國(文部省)が編纂していた國定國語教科書では,第1期(明治37年)~5期(昭和16年)まで,程度副詞用法は見られません。「流行」していたにも関わらず,俗な言葉として認識されていたからか,規範性が強く求められる資料では,積極的には採用されなかったことがうかがえます。

另外,在國家(文部省)編纂的法定國語教科書中,一至五期(明治37年~昭和16年)都未曾提到過程度副詞這一用法。或許是因爲儘管它曾經“流行”過,但畢竟被認定爲是俗語,所以並沒有被規範性強的資料所廣泛使用。

これらの材料から考えると,明治末・大正期から昭和の初めにかけて,「とても」の程度副詞用法は,教養人の目に付くくらい「非常に広く使用」されていたが,中央語(東京語)の中では規範的ではないと見る向きが強かったようです。

從以上的資料來看,雖然從明治時代末期・大正時代到昭和初期,「とても」的程度副詞用法就已經“廣泛使用”到了教育者都不得不關注的程度,但是在中央語(東京話)中,被視作不規範用法的傾向十分強烈。

「とても」の程度副詞用法の定着

「とても」的程度副詞用法的確定

では,「とても」の程度副詞用法はいつごろ現在のような形で共通語の中に定着したのでしょうか。このことについて,新野直哉「昭和10年代の國語學・國語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」は,昭和10年代初めの國語教育専門誌に用例が見られることから,「國語教育の場ではすでに容認されており,(昭和10年代)後半には共通語の中に定着していた」と見ています。また,昭和10年の『辭苑』に記述があることからも,このあたりの年代には,時に俗語扱いされながらも,定着しつつあったと推測されます。

那麼,「とても」的程度副詞用法是什麼時候變成以現在這個形態固定爲通用語的呢?關於此事,新野直哉的《關於昭和10年代的國語學・國語教育・日語教育專業雜誌中常見的語言規範意識-副詞”とても”・‘去ら的詞語’等》認爲,因爲昭和10年代初的過於教育專業雜誌可以看到這一用法,所以“國語教育方面已經承認了這一用法,(昭和10年代)後期就被固定用作通用語了”。此外,在昭和10年的《辭苑》中也有相關記載,從這一點來看,可推測在這個年代,「とても」雖然偶爾被用作俗語,但是正在逐漸成爲通用語。

昭和22年より使用された第6期國定國語教科書『國語』に,次のような例がみられます。

從昭和22年開始使用的第六版法定國語教科書《國語》中,出現了以下例句。

國定の國語教科書で使用されるに至って,遅くともこの時期には,「中央語の言語規範に牴觸しない言葉遣い」の仲間に入ることができたと言ってよいでしょう。

雖然有點晚,但是可以說直到被法定教科書使用的這個時期,「とても」才真正成功進入了“不違反中央語語言規範的詞語用法”的行列之中吧。

本內容爲滬江日語原創翻譯,嚴禁轉載。

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