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“通用語”與“標準語”的區別是…?

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共通のことばと規範的なことば

通用語言與規範語

「共通語」は,異なる言語を話す人同士が意志を通じ合うために用いる共通の言語のことです。「英語は世界の共通語」と言われることがあるのはこのような意味です。日本語の中で「共通語」と言えば,方言の違いをこえて互いに通じ合うことばを指すことになります。

“通用語”指的是不同語種的人們之間爲了相互溝通而使用的語言。我們常說“英語是世界通用語言”就是這個意思。在日語中,“通用語”是指可以融合方言差異進而促成溝通的語言。

「標準語」は,ある言語の中で,規範的な正式の言い方と見なされて,公的な場や改まった場で話したり書いたりする時に使われることばのことです。明治時代には,「東京の教養層の言語に磨きをかけたことば」という標準語像が示されました。現在では,「NHKアナウンサーのことば」や「教科書のことば」が標準語である,とされることがありますが,あくまでも便宜的な説明です。言語活動の種類や話し手一人一人の意識とかかわる面があり,「標準語」の全體像を具體的に示すのは困難です。標準語は國が制定すべきものである,とする立場もあります。

“標準語”則是指某種語言系統中,最爲規範的正式用語,常被使用在公共及正式場合的對談或書面表達中。明治時代,就有了標準語這一概念,在當時稱爲“磨鍊東京素質文化階層的語言”。如今,“NHK播音員用語”以及“教科書用語”被視爲當代標準日本語,不過這只是一種普遍大衆的說法。“標準語”與語言活動以及說話人的意識觀念都息息相關,所以我們很難對“標準語”有一個全方位具體的判定。有些專家認爲,標準語應該由國家來制定。

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このように,「共通語」と「標準語」とは,もともとは違う概念を表す用語です。しかしともに「方言」と対比的な性格を持っており,そのうえ日本語では現実には,東京のことばを基盤としたことばが「共通語」として通用し,「標準語」と意識されていて,両者には実體上はっきりとした區別がありません。このため一般には,両方の用語が區別なく使われることも少なくありません。

由此來看,“通用語”與“標準語”是兩個完全不同的概念。但都具有與“方言”相異的特質,然而實際上,日語中的“通用語”和“標準語”都是以東京地區語言爲基礎的,在實質上並沒有特別明顯的區別。因此,“通用語”與“標準語”通常被不加區別地使用。

地域社會の言語調査から生まれた「共通語」という考え方

基於各地語言調查而規定的“通用語”

“通用語”與“標準語”的區別是…? 第2張

現在のように「方言」と対の意味で「共通語」という用語が広く用いられるようになったのは,戦後のことです。國立國語研究所では昭和24年から,福島県白河市の住民の言語生活の実態調査を行いました。そこで注目されたのは,地域社會の現実の言語生活が,在來の土地のことばとそうでないものとの混合によってなされているという點でした。

戰後,“通用語”才被拿來與“方言”做對比並被廣泛使用。國立國語研究所從昭和24年開始對福島縣白河市居民的日常語言使用情況進行了調查。值得注意的是,該地區的語言系統是由土著語言與外來語言相結合的。

そこで分析にあたって,地域で話されている「全國どこでも通じることば,東京語に近いが,必ずしも一致しない」ことばを「全國共通語」略して「共通語」とし,在來の土地のことばである「方言」と分けて扱いました(國立國語研究所『言語生活の実態 ―白河市および付近の農村における―』)。「共通語」という用語自體は明治時代にも使われたことがありますが,戦後の「共通語」という用語と概念は,地域の言語生活の実態を精査する中から生まれてきたわけです。以後「共通語」は,研究の分野だけでなく教育界や社會一般にも広まって行きました。

因此在調查分析時,將“在全國範圍內通用,且近似東京方言的語言”定爲“全國通用語”,簡稱“通用語”,以便與本地土語‘’方言”進行區分(國立國語研究所《語言生活的實態―白河市及附近的農村―》)。“通用語”這個詞彙曾在明治時代使用過,但直到戰後學者們在對各地方用語習慣進行調查分析後才賦予了“通用語”一詞現有的概念。從那時起,"通用語"一詞不僅在研究領域,還在教育界和社會中普遍提及。

「標準語」教育の推進から「共通語」と方言の共存へ

從推進“標準語”教育到“通用語”與方言共存

一方「標準語」という用語は明治時代から盛んに用いられてきました。特に明治30年代ごろからは,中央集権化による近代的な國家づくりという政治的社會的な要請の下,學校での「標準語教育」が推進されました。當時の教授資料を見ると,それが標準語の普及を目指す一方で,地域の方言を排除する方向に強く傾いたものであったことがうかがわれます。

另一方面,“標準語”這一概念早在明治時代就已經廣泛普及。特別是從明治30年代左右開始,在中央集權建立近代國家的政治社會要求下,學校陸續推進“標準日本語教育”。考察當時的教學資料,我們可以看出其目的是傳播標準語,並有着排斥地區方言的強烈傾向。

戦後,教育の分野では「標準語」に代わって「共通語」が目標とされるようになりました。方言との関係について,昭和33年以降の國語の學習指導要領では,「共通語と方言の果たす役割などについて理解する」(平成10年中學校學習指導要領)ことが盛り込まれるなど,「共通語と方言の共存」という方向が示されるようになっています。

戰後,“通用語”取代了“標準語”成爲教育領域的目標。至於與方言的關係,在昭和33年以後的國語學習指導要領中提到“要全面理解通用語與方言各自的作用”(平成10年中學學習指導要領)等教育學習要求,明確了“通用語與方言需共存”的方向。

本內容爲滬江日語原創翻譯,嚴禁轉載。

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