我國的歇後語用日語該怎樣表達呢?
歇後語也是我們文化的瑰寶,從古到今歇後語的發展也經歷了長時間的洗禮,傳承到今天,我們也掌握了不少。那麼這項中國自古就有的語言文化,極具語言特色的表達方式翻譯成日語又是什麼樣子的呢?今天我們就一起來了解一下吧。
春天的蜜蜂——閒不住
春(はる)のミツバチ→暇(ひま)になることがない。
打魚的翻了船——傾家蕩產
漁師(りょうし)が船を引っくり返す→家財(かざい)を傾ける。破産する。
大姑娘上轎——明裏哭,暗裏笑
オールドミスの嫁入(よめいり)り→上っ面は涙、內心はほくそえみ。
大海撈針——難
大海原で針(はり)さがし→難しい。
大年初一吃餃子——沒外人
正月元旦に餃子を食べる→內輪(うちわ)のものばかり。
蛋打雞飛——一場空
卵(たまご)は割るし鶏には逃げられる→あぶはち捕らず。
刀子嘴豆腐心——嘴硬心軟(口噁心善)
鋭(するど)い口ぶり豆腐の心→口は悪いが心根は暖か。
得隴望蜀——貪心不足
隴(ろう)を得て蜀を望む→欲張りすぎ。
滴水穿石——不是一日之功
一滴一滴の水滴(すいてき)が石を穿つ→一日の功にあらず。
丟了西瓜撿芝麻——因小失大
西瓜(すいか)を捨てて胡麻(ごま)を拾う→小事の為に大事を失う。
冬天的筍子——出不了頭
冬場(ふゆば)の竹の子→頭角(とうかく)を表わせない。
斷了線的風箏——身不由己(無牽無掛)
糸の切れた凧→體が思うに任せない(全くの勝手気まま)。
對牛彈琴——白費勁
牛に琴を弾いて聞かせる(馬の耳に念仏)→無駄骨折り。
放出籠的鳥兒——遠走高飛
籠から飛び立った鳥→手元から空高く飛び去る。
放虎歸山——後患無窮
虎を放って山に返す→今後の災い盡きることなし。
風前蠟燭——不長久
風前のともしび→長くはもたない。
幹了的葫蘆——肚裏空
乾いた瓢簞→腹の中は空っぽ。腹ペコ。
趕鴨子上架——有意作難
アヒルを止まり木にとまらせる→無理難題の意地悪。
高粱杆做扁擔——挑不起重擔
高粱の莖を天秤棒にする→重責は擔えない。
隔岸觀火——幸災樂禍(袖手旁觀)
対岸の火事→他人の災難を見て喜ぶ(拱手傍観)。
狗咬耗子——多管閒事
犬が鼠に吠え立てる→要らぬお世話。
古井裏的蛤蟆——沒見過大世面
井の中の蛙→世間知らず。
瓜田不納履,李下不整冠——避嫌
李下の冠瓜田の靴→疑われないように気をつける。君子危きに近よらず。
阿Q捱打——忘得快
阿Qはどつかれても→すぐ忘れる。
愛克斯光照人——看透了你
X線で人を照らす→君の心底見え透いている。
八十歲考狀元——人老心不老
80になってなお科挙の試験を受ける→年はとっても気持ちは若い。
八仙過海——各顯其能
8仙人(日本では七福神)が海を渡る→それぞれが腕前を競う。
巴掌穿鞋——行不通
手の平で靴をはく→通らない→実行できない。
拔苗助長——好心辦壞事
はやく大きくなれと苗を引っ張って抜いてしまう→恩がかえって仇になる。よかれと思ってしたことなのに。
班門弄斧——充內行(=獻醜)
専門家の前で芸を披露する→釈迦に説法(=お粗末ながら)。
半路出家——從頭學起
中途から出家する→頭(剃髪)から勉強する。
薄冰上走路——提心吊膽
薄氷の上を歩く→おっかなびっくり。びくびくもの。
背水作戰——不留後路
背水の陣→後がない。
閉着眼睛趟河 聽天由命
目を閉じて川を渡る→運を天にまかせる。
病入膏肓——不可救藥(沒法治)
病膏肓に入る→救いようがない。つける薬がない。
菜刀切豆腐——不費勁
包丁で豆腐を切る→力は要らない。
敞開窗子——說亮話
窓を全開して→何もかも率直に話をする。
城門失火——池魚遭殃(殃及池魚)
城門の火事→池の魚がとばっちり。
吃不了——兜着走
食べきれない→包んで持ってかえる。
出頭的釘子——先捱打
頭の出た釘→最初に打たれる。
初生的牛犢——不怕虎
生まれたばかりの子牛→怖いもの知らず。
怎麼樣?大家學會了嗎?是不是看似簡單,其實又覺得沒有那麼簡單了。雖然我們學習日語有些優勢,畢竟日語總還有很多漢字。但是如果不深入去了解,那麼還只是皮毛而已。大家一定要多方面瞭解,系統學習,爭取有所收穫。